飼っていた鶏のこと
ちょうど30年前に、キャリアウーマンとして雑誌の編集をしたのち、会社を辞め、自宅で鶏を飼い、その卵を使って、ケーキ教室をしているというある女性に出会いました。
家族に安全なものを食べさせたいとの思いから小さな庭に鶏を放し飼いにしていました。私も影響を受け、是非にと頼んで世話していただき、5~6羽を我が家で飼うことにしました。
ちょうど畑も始めた頃でしたので、餌にする葉っぱなどはいくらでもありました。自家製の小松菜、キャベツ、白菜などを刻んで残飯や配合飼料などと混ぜてあげます。有精卵が欲しかったので雄にも1羽来てもらいました。
鶏の雄はとても男らしく勇敢で、歩く姿もジェントルマン、という雰囲気でした。いつも雌のボディガードの様に辺りに目を配っていて、雄犬のダックスフントのマックスと一緒に、猫や危険なものから雌たちを守っていました。
当時の仙台の我が家は、広瀬川のすぐそばで、夜になると川のせせらぎが聞こえるようなところでした。
雄鶏はいつも庭の雑草などを食べ、ミミズや小さい虫を見つけると、自分は食べずに大きな声で鳴いて、ここに美味しいものがあるよ~、という具合に雌たちを呼びました。
それを聞いた雌鶏は争うように飛んできて、我先にと食べていました。
見ていて同じ女性としては恥ずかしい気もしましたが、とてもほほえましい光景でした。私たちは鶏が喜ぶのを見てせっせと餌をあげていました。
鶏の食べ方を見ていると、畑から取ってきた白菜などを庭に置いておくと外側の青い葉だけをつつき、葉の中心の白いところにくると、だれも見向きもしなくなります。青い葉により栄養があることを知っていたのでしょう。
栄養学者の川島四朗先生のおっしゃっていた、青い葉には多くの栄養があるということを私たちはこの鶏を見て学びました。
ところが、我が家に来て毎日卵を産んでくれ、元気に走り回っていた鶏が、1、2年経つとある日じいっとして動かなくなる日が多くなりました。
元気がないのかな、くらいに思っていると、2,3か月で死んでしまいました。
おかしいなと思いながらも原因が分からないでいると、しばらくしてまた別の鶏が同じようにうずくまり、動かなくなりある日死んでいる、ということが起きます。
さすがに死んでしまった鶏を食べる気にはなれず、丁寧に葬ってあげました。
鶏と一緒の生活をしていると、他のペット同様もうみんなの家族の一員ですから、つぶして食べる、などという事を考えたことはありませんでした。
ところがまた一羽目をつぶってうずくまりだしたのです。
死んでしまってからでは原因も分からないと思い、あらゆる事に詳しい、畑のお隣さんに住む方のところに、目を閉じてじいっとしている鶏を連れて行きました。
外から見るだけでは分からない、鶏には気の毒だがつぶして原因を探そう、ということになりお願いしました。
鶏を飼うことはできても、もちろんつぶすことなど私達にはとてもできませんでした。
明治40年生まれのお隣さんは、慣れた手つきであっという間に上手にしめてくれました。
そしてその原因が分かったのです。
なんと心臓の周りにべったりと脂がついていたそうで、1リットルの牛乳パックに入れて見せてくれました。脂は上まで一杯です。これには本当にショックをうけました。
毎日庭を走り回っているとはいっても、沢山の配合飼料を毎日与え続けたことが原因でした。
お隣さんは、その肉もきれいにさばいてくれました。まさに正真正銘の地鶏、せっかくだからと気持ちを切り替え、焼き鳥を作りましたが、やはり私たちは皆食べることができません。でもそれではあまりにかわいそうだ、これは供養になるのだから、と勇気を出して食べたのは結局ぎぼ、娘と私の女性3人でした。
主人と息子は、さっきまで家族だった鶏をとても食べる気にはなれないと言って、つらそうにしていました。
この鶏たちのお蔭で私達家族は、食べ物はただの”もの”などではなく、元々”いのち”だったものなのだという事を改めて知ることができました。
野菜や果物、きのこ、海藻、穀物、何でも私たちの口に入るものはすべてそれまで生きていたのだ、ということを意識するだけで、食べ物に対する感謝の気持ちも自然と湧いてきます。
飽食の時代の今の日本では、食べ物を捨てる、残す、嫌う、といった事を当たり前のようにしてしまう人たちが多いことに胸が痛みます。
出来合いのもの、冷凍食品を買ってきて食卓に並べるだけのことしかしていないと、そんな命への感謝の気持ちも生まれないのでしょう。
食べ物を頂けるということは、あらゆる自然、お日様、空気、水、土などのお蔭、そしていのちのお蔭なのだということをもっともっと意識して、たくさんの感謝とともにいただいていたら、食べたものは私たちの血となり、肉となることを喜んでくれ、私達の体の一部となって大いにその働きをしてくれるのではないでしょうか。私はそう信じています。
ちなみにあの雄鶏といえば、あまり食べず、雌を守るためにいつも動いていたため、体型もずっとスリム、元気いっぱいで最後の一羽になっても長生きしてくれたのです。
今でも主人が時々思い出し、あの雄鶏は本当に立派だったね、と懐かしんでいます。