人生の転機のこと

 

 私の主人の母は大正2年、仙台の旧家に生まれ、小学校の頃相次いで両親を亡くし、家長の兄夫婦に育てられたそうです。

 義母の母親は糖尿病にかかり、当時は治療法も確立されていなかったため一日中体がだるく、お手伝いさんにいつもさすってもらっていたそうです。なんと治療としてカスタードクリームをなめていたとか。。。

 また栄養をつけるため、朝食はミルクのたくさんかかったオートミールを食べていたのだそうです。

 

 つまり身体は動かさずに栄養だけを摂っていたのです。その治療法とは今とはまるで反対のものでした。

 そしてその後義母も女学校で、いかに日本の食生活が貧しいものであるかをドイツ帰りの栄養学の先生からたびたび聞かされていました。

 バターは一日に4分の1ポンドは必要である事、チーズやミルクなどの乳製品をかかさず摂らなければいけない事などを次々学び、その知識を家族の食事に取り入れていました。

 

 戦前戦中はろくな食べ物が無かったので,それでもよかったのかもしれませんが、戦後、物が豊富になってからも、その食生活を続けてしまったせいで、高血糖、肥満、高血圧になり、そののち母親と同じ糖尿病と診断されてしまいました。

 

 そんな頃私が嫁いで同居生活が始まりました。結婚して間もなく義父が亡くなり、義母はあまりに突然の出来事に深く悲しんでいました。

 私には、慣れない土地での暮らし、新婚時代の義父の死、悲しみに暮れる義母との暮らし、長女の出産など人生の大変な事が一度に押し寄せてきました。

 

 当時の私には背負いきれない重みのせいもあり、私はすぐに腎臓を壊して治療を受けなければならなくなりました。しかしなかなか思うように治療の成果が出てきません。精神的にも肉体的にもつらい日々を送っていました。

 

 そんな折、温古堂の橋本先生と出会い、食生活に目覚め、身体の動かし方、心の持ち方、呼吸の大切さなど次々と学んでいきました。

 よく噛んで腹八分、バランスのとれた食生活をすることや、玄米食など早速いろいろ試してみました。数々の試行錯誤がありましたが、お蔭で体調はどんどん良くなっていきました。結婚、そして腎臓病は、私をそれまで思いもしなかった方向へと導いていってくれました。