たけのこと木の芽のこと

 

 春まっさかり、新緑のころになると、山椒の新芽が出てきます。

 小さな芽は、爽やかないい香りをはこんでくれます。

 その時を待っていたかのようにたけのこが登場してくれます。

 

なんと素晴らしい出会いでしょう!

 

 この季節ならではのたけのこの煮物、たけのこご飯、たけのこのお吸い物にもし木の芽がなかったら、なんと寂しい事でしょうか。

 日本はありがたいことに南北に長いので、たけのこも桜前線の様に南から徐々に便りが届いてくるのです。

 そのお蔭でたけのこに目がない私はその間ずっと楽しむことができます。

 

 たけのこは掘ってから時間が短いほどえぐみも少なく、生でお刺身にしてもよく、たけのこご飯にしてもそのまま生でご飯と一緒に炊くことができます。

 

 皮をむき、お米のとぎ汁やぬかと一緒に茹でてそのまま冷まし、さっと洗ってきれいな水に浸けておくと、冷蔵庫でしばらくの間保存できます。時々水を替えておけば、さらに鮮度を保てます。

 

 数年前初めて、小さな瓶詰に入った美味しい美味しい手作りの山椒の佃煮と出会いました。

 

 作ってくださったのは山梨県の御坂でブドウを栽培されている方で、これがまた今まで食べたことのない美味しい果物でした。何でこんなに美味しいのだろうと、と思い、伺ってみると、やはり土づくりにわけがありました。

 美味しい果物を作るために、EM菌や、炭の粉を入れ、その炭を作るために自ら炭焼きまでされていました。

 

 果物は、何年か経つと収穫が衰えてくるため、その衰えた樹を伐採しなければならず、その樹を炭にするのだそうです。また、近所の農家の方にも炭焼きを頼まれるのだそうです。

 その時に出る木酢(もくさく)は、果樹の消毒の役目もするそうで、捨てるところがありません。

 炭作りの手間は相当なものだそうですが、手間暇かけて、ご夫婦で丁寧な作業を続けていらっしゃいます。わが子のように慈しみ、育てる姿にはいつも頭の下がる思いが致します。

 

 そんなお二人に何かお手伝い出来ることはないかと、一度ブドウの笠かけをさせて頂きました。

 暑い盛りの時期に、一房づつ二回に分けてビニールの笠をかける作業は、想像以上に大変な作業でした。

 

 もちろん、果樹の下は爽やかな風が吹き抜けていましたし、私達にとっては楽しい時間だったのですが、それはただのお手伝いだったからにすぎません。

 

 雨が降りすぎても、もちろん日照りでも、味に大きな差がでてしまい、こころ配りや心配の種は尽きません。まさにお天道様との二人三脚、といった感じです。

 

 そんな作業の合間をぬって、あの瓶詰作りのための木の芽採りに誘っていただきました。そこから近くの、富士山を望める山の中に、人知れず、ひっそりと木の芽はありました。すぐそばには、熊が食事をした跡があったり、鹿のフンや、兎のフンが残されているような、本当に自然な山の中でした。

 

 外は初夏の日差しがいっぱいで、暑い日でしたが、山の中はひんやりとしており、静まり返って、まるで別世界でした。そんな、空気もきれいな山の中に、ひっそりとたたずむように木の芽は生えていました。さっそく若芽を摘んでいきます。

 

 山の中には、木のために良くないつるや、大きくなり過ぎた雑木などがありますが、それらを払いながら歩きます。

 人が山に入り、大切な山菜を頂くのですから、そのお礼として山の手入れをきちんとする。山にちゃんと陽が届くように枝を払ったりして、その命を守ります。

 

 自然と人とのそういった助け合いが、日本の山里を今日まで保ってきたのだということを改めて知ることができました。

 

 山からいただいた木の芽は出来るだけはやく里に下りて、新聞紙の上に広げ、空気を入れなければなりません。

 不思議なことに、小さな木の芽はものすごいエネルギーを持っていて、袋に入れたままだとすぐに蒸れてしまうのだそうです。

 

 きれいな山に生えていた木の芽は目につくごみだけを取り除き、洗わずにそのまま鍋に入れ、じかにしょうゆを入れて煮ます。

 始めのうちは固く、ごわごわしていますが、しばらく弱火で煮ていると、ある時から柔らかくなります。

 調味料はしょうゆ以外は何も加えず、木の芽の持つ苦みとうまみだけで自然のおくりものです。

 

 今年も木の芽の佃煮を作る季節になりました。

 小さな瓶に詰めて来年まで楽しみます。