橋本敬三せんせいのこと

 

 操体法の創始者である橋本敬三先生は、明治30年福島県の会津で生まれました。大正10年新潟医大を卒業され、東北大学医学部藤田研究室で神経生理学を研究されました。生活のために函館の私立病院で治療にあたりました。その時の経験が先生を東洋医学に導くのでした。

 

 ある時、一度治療に見えた患者さんがその後まったく来なくなり、先生は、もう治ったから来ないのだと思っていたところ、その患者さんは少しも良くならなかったため、民間療法による治療を始めていた、という事を知ったのです。先生は大変ショックを受け、次第に現代医学に疑問を持つようになり、民間療法や東洋医学を真剣に研究されるようになりました。

 

 先生は、身体をこわす原因は、運動系のゆがみであるという事を発見し、高橋整体術にヒントを得て、操体法の基礎を確立しました。戦争中、軍医として2度も応召され、ロシアに抑留され、昭和23年に帰還の後、仙台に温古堂という名前の治療院を開業されました。以来、臨床50年の経験と東洋自然哲学で学んだ鋭い洞察力で、食、息、動、想の操体法を体系化されました。

 

この橋本敬三先生との出会いは、今から30数年も前のことです。私は腎盂炎にかかり、その後なかなか治らないままに大学病院で治療していました。いろんな検査を受けましたが、原因ははっきりせず、最後は直接腎臓の組織を取り、詳しく調べるしかないところまで来ていました。

 検査とはいえ腎臓そのものの一部を取り出すというもので、入院、手術を伴う、負担の大きいものでした。その話にショックを受け、どうしようかと迷っていた時、たまたま観ていたNHKのドキュメンタリー番組で、当時80歳に近い老医師が、操体法というそれまで聞いたこともない治療法を紹介していました。

 

 先生はまったく飾らない人柄で、治療と言っても、患者さんはベッドの上で仰向けに寝て膝を立て、それを左右に倒し、どちらが痛くないかを確認し、次は痛くない方にだけ倒して先生がそれを支え、パッと力を抜くといった、見る限り簡単なものでした。内科、外科といった区別はなく、ただ痛くない方に体を動かせばいいのだとおっしゃっていました。

 始めは体の苦痛を訴えていらした患者さんがニコニコして歩き出す姿を見て、私は思わずこの先生のところに行ってみたいと思いました。

 そして番組の最後に出る住所を書き留めて、どんなに遠いところでも構わないから、尋ねて行こうと思っていました。

 ところが何と驚いたことに、当時私の住んでいた仙台の自宅から3キロという近さでした。

 

 数か月後に訪ねてみると、治療の前に別室であらかじめお弟子さん達から、操体法とはどんなものなのか説明を受けました。治療は「とにかくベッドに横になって、膝を立てて」とテレビで観ていた通りのものでした。そのあとうつ伏せになって膝を折り、かかとをお尻につけると、私の身体は柔らかく、簡単にかかとがお尻につきました。すると先生は「いやあ、いい身体をしている。どこも悪いところはない。こういう人は長生きをするんだ。だから周りの人に迷惑をかけないように、しっかりと精神修養をしてみんなに可愛がってもらえる様にしないとだめだ。」と私のお尻をポンと叩いて、それでその日の治療は終了でした。

 

 私はびっくりしてしまいました。今まで大学病院でずっと治療をしてもらっていても、尿検査の結果はいっこうに良くならなかったのです。しかも、家ではなるべく安静にして、塩分はできるだけ控え、風邪を引かないようにとの指導を受けていましたが、実際の暮らしは幼い子供2人を抱え、本家の長男の嫁としてしなければならない事がいっぱいあり、主人は働き盛りで毎晩帰りが遅く、とても安静にするどころではなかったのです。病院の先生のアドバイスを守れないことが新たなストレスにもなり、心配から、ついイライラしてしまい、そのせいでますます疲れやすくなり、こんな毎日を送っていたのでは間違いなく身体に良くないはずだと思いながら、どうすることも出来ず、本当に気の晴れないつらい日々を送っていたのです。

 そんな私に、「どこも悪くない。長生きするから精神修養しなさい。」とおっしゃったのですから、もうただただびっくりしてしまいました。

 

 私が自分の腎臓病の経歴を話すと、橋本先生は「あのねえ、本来この世に”病気”は存在しないよ。みんな誤解しているんだよ。病気だと思っていたことは、体からの警戒警報に過ぎないんだよ。生き方の天然法則っていうのがあって、それに従っていれば、サインは消えてしまうんだ。私たちが勝手に病人だと決めつけてしまっているだけなんだ。」と、話してくださいました。

 

 また、「生命現象はバランス現象なんだ。人間は動物なんだから、生きていくには”動作”をしなければならない。自分が一番気持ちのいい動作を追求し続ければいいだけのことなんだよ。とにかくまずベッドの上で四つん這いになって、自分の尻尾を見てごらん。右からか、左からか、見やすい方を見つけて5~6回、ゆっくり気持ちのいいのをゆっくり味わうんだ。」と次々に説明してくださいました。

 

 先生のおっしゃる通りに四つん這いになって後ろを振り向くと、確かに見やすい方と見にくい方がはっきり判りました。見やすい方から振り向いて尻尾を見る。実に適当というか、簡単な治療です。「一度に何回見ればいいのですか?」と私が質問すると、「何回でもいいよ。まあ、一度に5~6回かな。それを1日に5~6回位やってごらん。」と、これまた何だか適当です。これが本当に私の治療?私はすっかりあっけに取られてしまいました。

 

 でも先生の、そのいい加減とも取れるような雰囲気は、当時の私にとっては天にも昇るほど有難く、肩の荷が下りたような、これまでの苦しみからいっぺんに解放されたような安堵感でいっぱいでした。とにかく、ただ先生から「あんたは何でもないよ」と言っていただけた事が、私にはたまらなく嬉しかったのです。「次回は、いつうかがったらいいでしょうか」質問する私に先生は、淡々と「いつでもいいよ。まあ、来たくなったらいらっしゃい。」そんなやり取りで診察は終わり、もちろん薬も検査もありませんでした。