主人の病気と石垣島のこと

 

 今から十数年前、主人が大腸がんになりました。

 長年仕事一筋で、毎晩帰りも遅く、海外出張も多く、よくそれまで身体がもったものだと思います。

 当時私は「あなたと健康」という、自然療法と玄米菜食を中心にした勉強会に参加していました。病気治しの食事や手当なども学んでいましたが、主人の性格上、ちゃんとした病院で手術をし、悪いところを全部取っていただくのが良いと思いました。その後で、自然療法や食事で手当てをしていくことにしました。

 幸い転移もなく、手術後は順調に回復していってくれましたが、あらためて健康についての意識改革を迫られたような気持になりました。

 

 術後の主人のために取り入れたことの一つに、ワクチン療法があります。

 昔、橋本先生のところで学んでいた頃、先生は、もし自分や家族ががんになったら、ワクチン療法を選ぶよ、とおっしゃっていたのを思い出しました。

 免疫力を高める、あるワクチンを五日に一度、皮下注射します。よい専門の病院も見つかり、注射は自宅でもできるということで、私がしました。

 始めは勇気が要りましたが、次第に慣れ、五年ほどお世話になりました。

 

 もう一つ、プロポリスにも助けられました。

 ちょうど術後一年ほど経った頃、父の法事の後に乗ったタクシーの運転手さんが、都立病院の先生にすすめられ、肺がんの後、プロポリスを飲んで元気になった話をとても細かく話してくれました。

 

 プロポリスが良いということは聞いたことがありましたし、熱心に話してくれたことに心を動かされ、早速探すことにしました。

 親しい友人の御嬢さんのお姑さんがブラジル直送のプロポリスを扱っていらっしゃる事を知り、早速取り寄せていただき、服用を始めたところ、本当に日増しに元気になっていきました。とてもありがたいご縁でした。

 

 こういったものと並行し、食事も玄米みそ雑炊に切り替えました。鍼灸の治療院にも定期的に通いました。

 

 南の島でのんびりするのも良いのではないかと思い、宮古島に半月ほど滞在し、釣りをしたり、海岸で貝拾いをしたり、ピクニックをしたり、ゆっくり本を読んだりする癒しの時間を持ちました。

 

 主人の病気をきっかけに南の島の良さを再発見し、身も心も癒された旅を通して、今までひたすら走り続けてきた私達の暮らしを見直そうということになったのでした。

 以来毎年、真冬の大寒の頃に、沖縄やその周辺の島でのんびり過ごすのが恒例になっています。

 

 主人が昔仕事でお世話になった社長さんが住んで居らっしゃるご縁で、数年前から石垣島に行っています。石垣島は、どこまでも青く美しい海に囲まれた、素晴らしい島で、その周りには大小たくさんの島が点在しています。島では、社長さんに案内して頂きます。

 

 それまで知る機会のなかった島の歴史や、台湾との国境の島であることも知りました。冬の晴れた日には、西表島から台湾がよく見えるそうです。

 中国や台湾で何かが起こると、警備のための大きな船が、国を守るために行き来をし、島中に緊張が走るそうです。

 美しいリゾート地でありながら、その一方で島の持つ重要な使命を感じます。

 

 今年の2月に主人と訪れた時には、ランの栽培や、パパイヤ、マンゴーなどを育てていらっしゃる方に再会しました。三年前に訪ねた時、パパイヤの酵素のお蔭で、お兄さんのがんが治り、以来パパイヤの普及に努めていらっしゃるとのお話をうかがいました。とても美味しいパパイヤを作っていらっしゃいます。

 この会社は、二年前の台風で大きな被害を受けたそうですが、皆さんの努力のお蔭ですっかり持ち直すことができました。

 

 しかも幸いなことに、北海道の有名なチョコレート会社が、試験的に、ここのハウスの中でカカオの栽培を始めることになり、これが成功すると、国内で初めて、石垣島産のカカオでチョコレートが作れることになるそうです。純国産のチョコレートが食べられる日もそう遠くないかもしれません。

 

 私からは遠く離れたところに住んで居らっしゃる方が、ご自分の病を癒してくれたパパイヤの普及と、美しい花を作り続けることに一生懸命で、ほんのたまに再会しては、お互いに喜びあい、美味しいものをいただくことができる。何て嬉しい交流だろうと思い、感謝の気持ちがこみ上げました。ご兄弟にこの先も幸せがいっぱいありますように。

 

 翌日、三年ぶりに西表島に行きました。

 高速船で40分の近さですが、この時期は海が荒れ、私にはもっと長く感じられました。離島に暮らす方々の苦労が忍ばれました。

 西表は三度目ですが、前回、三日間でかなり島中を巡ることができましたので、今回は奥西表島探検ツアーというものに申し込んでみました。

 幸いお天気に恵まれ、奥西表の抜けるような空と海、美しい白い砂浜に、心も弾みました。

 

 ガイドをしてくれたのは、元奥西表に住んでいらした方で、サンシンと唄の上手な明るい方でした。

 

 奥西表は、西表ヤマネコが発見されたため、周囲道路の建設と途中で中断してヤマネコの保護を優先し、そのお蔭で自然のままのジャングルが残されていました。それでも毎年、車にひかれるヤマネコがいるのだそうです。

 ヤマネコは、昔は人里近くに住んで居て、飼っている鶏を食べたり、反対にイノシシの罠にかかってしまったものを人が食べたりしていたそうです。

 今ではご存じのように、特別天然記念物に指定され、大切に保護されていますが、それでも数が減っていくことには、胸が痛みます。

 

 そのあと船で内離島(うちばなりじま)に上陸しました。戦時中まで石炭の採掘が行われていた島です。

 良質な石炭が採れたため、それらは台湾や中国にも運ばれました。炭鉱跡や、集落の後を見ましたが、過酷な労働と厳しい環境に、たくさんの方々がご苦労され、マラリヤにかかって亡くなったそうです。

 

 また旧日本軍の要塞の跡や、特攻艇の基地跡が当時の面影を今に伝えていました。

 

 奥西表の探検は自然のジャングル探検だろうぐらいにしか想像していなかった私は、人知れずご苦労された多くの方々がいらしたことにショックを受けました。思わず手を合わせ、その方々のご冥福を祈らずにいられませんでした。

 

 あの戦争の悲惨さは度々語られ、東京大空襲、広島、長崎の原爆のことなどを知らない人はなく、二度とこのようなことがあってはならないと、常々思っていましたが、このような美しい島で戦争の跡を見せられたことに、あらためてその悲惨さを思いました。平和の尊さをまたしみじみ感じることとなりました。

 ガイドさんのサンシンや唄は、戦争で亡くなられた方々に向けられたご供養の踊りのように見えました。

 

 島を案内して下さった別のガイドさんは、島の方だとばかり思っていましたが、なんと、青森県の大間のご出身でした。この島を気に入り、ガイドさんにまでなったとのことでした。

 ホテルで島唄を唄ってくださった若い方もやはり島のご出身ではなく、癒しで訪れたこの島に移り住んでいる方が全国から来ていらっしゃるのに驚きました。

 

 反対に島の若い人はみな、本州に仕事を求めて渡って行ってしまうというお話をうかがい、私も今自分の置かれている環境の良さに気付かず、ないものに憧れをいだいてしまう、同じではないだろうか、はたとそんな気持ちにさせられました。

 

 石垣島に戻り、直径20メートルの巨大アンテナがゴーッと音を立てて動く、世界一の性能を誇る天体観測所を訪れました。

 同じものが、鹿児島、小笠原、岩手県の水沢にもあるそうで、この4基が電波をキャッチし同時に作動すると、直径2300キロの電波望遠鏡と同じ性能を発揮するそうです。

 なんと1万7250光年の星空の観測が出来るとのこと。これには驚きました。

 もの静かな研究員の方が、一人で記録を取ったり、パソコンにデータを取り込んだりしながら、もくもくと研究していらっしゃいました。

 私達にも丁寧に説明して下さり、石垣島のホテルの窓から南十字星が見えることを教えていただきました。

 

 南十字星と言えば、私達からは遠い南半球からしか見えないのでは?と思っていましたから、なんてロマンチックな島なのでしょうと、また感動したのでした。

 曇り空のため、あいにく見ることは出来ませんでしたが、いつかまた見せていただけたらいいな、と願いながら石垣島を後にしました。